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瀋陽について

瀋陽について

(1)地理・気候等

 瀋陽市は中国東北部遼寧省の省都で、5つの都市区(和平区、瀋河区、皇姑区、大東区、鉄西区)、4つの郊外区(于洪区、蘇家屯、渾南区、沈北新区)、4つの県(遼中県、康平県、法庫県、新民市)と主要な5つの経済開発区(瀋陽経済技術開発区、中徳(瀋陽)高端装備制造産業園、渾南新区高新技術産業開発区、中国(遼寧)自由貿易試験区、瀋撫新区)からなります。(2020年統計)

 地理的には遼河平原の中央に位置し、北緯41度11分~43度2分、東経122度25分~123度48分、で緯度的には函館に相当します。

 気候は大陸性モンスーン気候で、平均気温は最も寒い1月の平均気温は-11℃、7月の平均気温は25℃、年平均気温は9.5℃、年降水量は873.8mmです。(2020年時点)

(2)人口      全人口   762.2万人  (2020年統計)

(3)面積      全体面積:12,881平方km

(4)歴史

 瀋陽の歴史は長く、この地区には7200年前から古代人が居住していたと言われ、2000年9月には「瀋陽建城2300年」が祝賀されました。

 戦国時代(前475~前221)末期には燕国の版図となり、前漢(前206~紀元8)の初め設けられた「候城県」では軍事上重要な街となり、唐代(618~907)には「瀋州」が設けられ、北宋時代(960~1127)に東北地方に建国された遼国(916~1125)では仏教文化が隆盛を極めました。

 元代(1271~1368)には高麗の所管となり、その名を「瀋陽路」と改められ、「瀋陽路」は元の首都北京から遼陽路に至る交通の要所であり、交易センターでもありました。明代(1368~1644)には「瀋陽中衛」が設けられ、強固な要塞としてその名を馳せましたが、その後、後金の太祖ヌルハチは明軍を破り、遼河以東の地域を統一し、1625年瀋陽に遷都しました。1634年太祖ホンタイジが即位し、瀋陽をムクデン(満州語で隆盛の意、漢字表記=盛京)と改名しました。後金は国名を清(1644~1911)と変え、1644年順治帝は万里の長城を越え北京へ遷都し、ムクデンを副首都として、1657年に清朝が全国を統一後ここに奉天府を設けたことにより、当地は「奉天」とも呼ばれるようになりました。

 瀋陽の近代工業化は清代末期に始まり、第一次大戦前後には奉天系軍閥(張作霖)が創設した軍事工業が拡張されたほか、民族資本による各種製造業も興り、その後の発展の基礎となりました。

 瀋陽の近代は戦禍に見舞われた時代で、日露戦争時には天王山となった「奉天開戦」が戦われたほか、日中戦争の発端とも言うことのできる「張作霖爆殺事件」「柳条湖事件」の舞台ともなりました。

 日露戦争後、ロシアの敷設した鉄道を基に、日本は、国策会社「南満州鉄道会社」を通じ東北地方への植民地政策を展開し、その後満蒙開拓団として多数の日本人が東北地方に移住しました。第二次世界大戦終了時点で、東北地方全体に約155万の日本人がいたと言われています。

(5)産業

 瀋陽市の工業は機械・冶金・化学・建築資材などの重工業が主ですが、コンピュータソフト関連の産業も成長しています。近年は、政府の東北振興政策のもと、国有企業改革が行われています。また、五愛市場に代表される、東北地方における最大の物流拠点でもあります。遼寧省の農業としては、とうもろこし、水稲、高粱、小麦等穀物及び大豆、落花生、胡麻等の油糧作物などがあります。

(6)民族

漢族 : 90%     少数民族(満族、朝鮮族、回族、蒙古族等):10%

(7)友好都市

日本 : 札幌市 (1980年10月締結) 川崎市 (1981年8月締結)

その他:  デュッセルドルフ(独)、トリノ(伊)、シカゴ(米)、イルクーツク(露)、ソンナム(韓) 等

(8)邦人数

瀋陽市 : 360名   遼寧省全体(大連は除く):440名

大連市 :4070名

瀋陽日本人会 法人会員数 103社、個人会員数 220名

(2021年5月現在)

【参考】

吉林省 :290名 (内長春市:200名)  黒龍江省:110名 (内ハルピン市:70名)

(2020年10月領事館調べ)

(9)日系企業数

瀋陽市 : 140社   遼寧省全体(大連は除く):180社

大連市 :1850社

【参考】

吉林省 :100社  (内長春市:90社)  黒龍江省:20社  (内ハルピン市:20社)

(2020年10月領事館調べ)